会社関係&お勉強

石材加工会社(大理石工場)でアルバイトしていた時の必需品。


学生時代、京都ではメインのCDショップアルバイト
と共に、サブのアルバイトもしていた。

 

長期休暇の際は、帰省して、当然バイト
2ヶ月の短期バイトではあるけれど、
いくつかやりました。

 

20歳か21歳か冬か春か?
その時は大理石工場でのアルバイトをした。


必需品があって。それがカッターナイフ

昔の カッターナイフ ナイフケース 使い込まれた道具 ハンドツール

 

いちいち「貸してください」とお願いするのが申し訳なくて。

自腹で購入。苦学生 笑 なので、もちろん痛い。
何故かレザーのナイフケースまで買っているし 笑

昔の カッターナイフ ナイフケース 使い込まれた道具 ハンドツール

 

ケースに入れるとナイフのが出るので
母親に頼んで縫ってもらった。
それから何年?その糸も切れて、取れた。

昔の カッターナイフ ナイフケース 使い込まれた道具 ハンドツール

刃が少し出たまま差すと、太ももを切るのでは?

という見上げた安全意識!我ながら褒めてやりたい。

 

工場にはかっこいいお爺さん(パート扱い)がいて。
咥えたばこで石材を紐でパレットに梱包。

*なんで石なのに何かの袋を裂いたようなこんな紐で縛るねん!

弱いんと違うの?と。堅いな、若い俺。


僕もその仕事を手伝い、そこでカッターが必要だった。
入荷した石材も縛られているので、カッターで切る。

 

慣れてきたら、次々に仕事が増えた。

大理石はなんと、ワックス掛けて磨いていて。
「あっ!石本来の研磨だけの姿とちゃうやん」

嘘つきやん!と。純真だったな。


とか、石材を組み合わせてカウンターを作る際、
どうやって接合するのか?ボルトか?

そう思っていたら、ボンド

 

「ボンド!びっくりやわ!えっ?ボンド?」

いずれ剥がれるやん!怖っ!と怯えたのを覚えている。


僕が混ぜ合わせたボンドでくっついたカウンターが
どこか、今も名古屋あたりにある筈。

 

それから、面取り
石材の角をサンダー的なもので削る。
削ってワックス塗る。


はい、これもどっかのトイレにあると思う。

それからホイスト(的なもの)で石材を移動するのもやった。
畳位の大きさの物。資格を持っていないのに。
今考えたら、むちゃくちゃやね。当然玉掛も持ってないしね。

どころか、理論を教えられずにボタン操作だけ

教えてもらってやってた。ふっ 笑


まぁ、昔はゆるかったしね。

そう言えば粉塵用マスクなんか
一切支給されてなかったな。

 

アルバイトなのに残業してたしな。

さすがにフォークリフト乗れとは言われなかったなぁ。

 

 

一昔前は

咥えたばこのブルース。

 

 

おわり。

 

 

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会社関係&お勉強

岐阜城(金華山山頂付近)の石垣は織田信長が築く(発掘調査報道)

岐阜城は元々は「稲葉山城」と呼ばれ、斎藤道三の居城であったことで有名です。

後の永禄10年(1567年:諸説あり)織田信長が入城しております。

地名「井の口」を「岐阜」と改称したのも信長公で、
岐阜城は天下統一の足がかりとなりました。

詳しくは岐阜市漫遊(岐阜観光コンベンション協会)で 笑



今、注目しているニュースがある:source→岐阜新聞Web

まずは2018年10月20日の記事
「岐阜城の発掘調査24日着手 山頂部は初」

という前情報があって・・

「金華山上部の石垣、信長が築く 岐阜城発掘調査」

となった。

どうだろうなー?と気にしていた「金華山上部の石垣」の築かれた時代が、
信長公が城主の時代と合致するとの調査結果。

個人的には「おぉーΣ(゚д゚;)」と。

地元でも余り大きなニュースにはなっていないけど、
凄い話やな―と思っています。

詳細などはこちらで→「織田信長公居館発掘調査ホームページ」


・・・因みに学生時代、考古学研究会部長やってました 笑



会社関係&お勉強

人事異動。(会社関係)

人事異動になりました。6月1日付けです。

内示を受けて僅か2週間での異動なので、バタバタであります。

引継ぎはほぼ不可能なレベル (;'∀') 

もちろん今週の土日は出勤、

平日も小規模な宴などをセットしてくれているようです((ありがたいですが)。

 

今後どのような感じになるのか不明ですが、

とりあえず目の前の事を片付けていこうと思っています。




この週末、採集に行きたかったなぁー。